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2016年1月 8日 (金)

民主主義の普及と総合職ということ

 民主主義の成熟のためには、それなりの判断力を持ち、正しい議論ができる大衆の支えが必要ということは、歴史の教訓でもある。この前段階としては、人間評価によって、その人に任せるという考えもある。このような評価をきちんと行う人材を、多く育てるためには、英仏などのように、民衆を革命の嵐にさらし、多くの血を流しながら学ぶことも一つの手段であった。
 しかし、もう一つの手段は、教育であろう。欧米文明の一つの道具として、自主的な学びの集合体としての大学という形を、忘れてはいけない。
 一方、日本では民主主義にしろ、教育にしろ、外国をまねしお上から与えられたものである。このように、自ら切り開いたものでないため、自主的な発想や、きちんとした議論というものが、身についていないと思う。
 しかし、現在の情況は、海外の模範をまねして進むということはできなくなっている。自分たちで考えて、何が良いかということを判断し、結果についても責任を持たなければならない。このように考えると、民主主義を担うということが、一人一人の重荷になってくる。しかし、それに耐えてこそ、平和な国での繁栄を謳歌することができるのである。
 さて、民主主義という話で考えたが、仕事における総合職でも同じである。自分の力で考えて、判断する能力が必要である。総合職が、パート社員より高い給料をもらうなら、それだけの責任を取らないといけない。さらに能力を示して、彼らの雇用を確保し広げるような活躍が必要である。
 このような人材の育成に、日本の教育システムは本当に役立っているのだろうか?

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