ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 自分の意見を言うための条件整備(総合的議論ができない その2) | トップページ | 自分のものにするために »

2016年4月 2日 (土)

自分の意見を言うための条件整備(総合的議論ができない その3)

 先程から書いている、総合的な議論に関しては、大学教育の問題も、大きく絡んでいると思う。特に近頃評判になっている、「文系学部解体論」の話である。
 私は、文系の学問が不要とは思わないが、今の大学をそのまま認めるかというと、だいぶ言いたいことがある。まず断っておくが、私は大学は工学部の出身である。確かに修士では人工知能という学際的分野を学び、言語学などは少しばかりはやっているので、少しは文系もかかっているが本来の出身は工学であり、会社でもマイコンプログラム作成とその標準化が大きな成果である。ということで、本来は理系である。
 しかし、社員教育を行った行きがかり上、法学部出身者に『法的三段論法』について教え、経営系の出身者に『損益分岐点の考え方』を教えることになった。なお、理系でいえば、『マックスウエルの方程式の意味』を教えている。この話が、ジョークとして理解してもらえないのが、寂しい限りである。まだ、工学部の関係者なら、少しは言い訳もあるし、出身者にも恥じらいはある。一方、文系出身者には、大学で習ったはずだろうと聞くと、いろいろと文句が返ってきたのを覚えている。大体文系の採用には、学校学部を隠して選考せよという話もあるらしい。つまり、大学教育の専門的知識は無視しろということである。これはいわゆる学歴フィルタ反対ということらしいが、大学の学問習得に対しての評価はどうなってるのだといいたい。

 さてこのように門外漢の憤慨に対して、少し答えてくれた本が見つかった。集英社新書「文系学部廃止」の衝撃:吉見 俊哉著、である。しかし、内容に関しては、強引すぎて突っ込み不足と思う。価値観の話で、ヴェーバーを持ってくるのはわかるが、それなら「プロ倫」ではなく「客観性」論文にしてほしかったと思う。特に、岩波文庫の折原補訳の解説が参考になる。特にp236から始まる、ヴェーバーの方法論の説明は実際に仕事でもつかえると思う。

 「A社の製品が売れて、わが製品が売れないのはなぜか?
  社長の若い時代には売れたかもしれないが、今では売れない。」

このような理由を議論する時にも、きちんとした方法論と論理性を身に着けておくことは重要である。

 また、吉見は、宮本武蔵について触れているが、宮本武蔵が大小の刀を使いこなしたのは、どのような刀の長さでも見切れる、という力があったからである。剣客にとっては刀は体の一部であり、その先端まで神経が届いている。これがとっさにどのような長さでも使えるということは、とんでもない能力である。現在これに匹敵する能力は、演奏中にサイズ違いのバイオリンに取り換えた、五嶋みどりぐらいしか思い当たらない。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B6%8B%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A

 文系学問は大切だが、それを実践で生かし切れるほど鍛えこまれた卒業生を大学は送り出しているのだろうか? 

« 自分の意見を言うための条件整備(総合的議論ができない その2) | トップページ | 自分のものにするために »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自分の意見を言うための条件整備(総合的議論ができない その3):

« 自分の意見を言うための条件整備(総合的議論ができない その2) | トップページ | 自分のものにするために »