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2016年4月 7日 (木)

他人の痛みがわからない人間についてもう少し

 先日から、少女誘拐監禁事件などの関係で、

   「他人の痛みがわからない人間

についていろいろと考えている。
 一つの仮説は、リアルな世界での人間関係の希薄さである。相手の心を思いやる必要がないヴァーチャルな世界に浸る。または、学校世界などの限られた世界だけでの付き合い。このような関係で、『人間』というものに対する、思いやりというか、共感力がなくなっているのではと思う。特に、IT化した現在では、文字情報という、記号の世界だけで、情報のやり取りが完了することが少なくない。このとき、言葉に表せないものが伝わらなくなる。そのようなものの存在すら配慮しなくなる。このような面から、相手の心を思いやる力がなくなっているのではと思う。
 さて、もう一つの仮説がある。それは、自分自身にも本当の痛みというものを、感じた経験が薄いという状況である。現在の恵まれた環境で、薄い人間関係で過ごせば、自分が傷つくということも少なくなってくる。このように、自分が苦しみに向き合っていないから、他人のことを思いやるということなど、とてもできなくなっている。
 このような、人の苦しみを思いやるためには、文学などでいろいろな生き方を知ることも大事だという。確かに文学などで、多くのことを知り、想像することは大事である。しかしその前に、自分に痛みの体験がないと、文字だけの話になってしまうのではないかと思う。

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