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2016年4月 4日 (月)

他人の痛みがわからない人間

 中学生誘拐事件の犯人について、被害者に対して
  「親に見捨てられた」
などと、心を砕くような言葉で傷つけていた。このような行動に対して、現在の刑法では、物理的な「誘拐」という行動にしか処罰ができないだろう。確かに量刑などには、いくらか考慮はあっても、
  「心を壊す罪」
というものに関しての処罰は緩いように思う。
 しかし考えてみれば、学校教育の場で起こる、自殺事件の多くは、学校教師などの心無い言葉、人の心を思いやる能力のない行動と発言により、子供の心を壊した結果である。このような行動に対しては、現在の法制度なら
  「民事訴訟による慰謝料請求」
という形でしか対応できない。確かに、アメリカなどの法制度の考え方は、
  「昔あった個人の名誉を守るための決闘を、民事訴訟に置き換える」
という考えで、心の傷などの対応を図っている。しかし、わが国では、「決闘による解決」という文化は、武士の一部に「果し合い」という形であったぐらいで、一般化していなく、「お上に裁いてもらう」文化であった。このような下地があるので、
  民事訴訟による恨みの晴らし方
はなかなか受け入れられないものがあると思う。
 一方、別の形での解決もあった。例えば、差別発言に対する「糾弾」の動きである。この行動自体が、また次の心理的な傷を負わせるものであり、現在はかなり少なくなっているように思う。
 例えば、元大阪府知事・市長の橋下氏に関して、差別的な記事を載せた週刊誌に対して、橋下氏個人が抗議したが、部落解放同盟などは動いていない。これに関しては、政治的なものもあるかもしれないが、「橋下」という姓に関しての露骨な差別記事を載せた週刊誌に対して、従来なら糾弾活動が行われたであろう。
 これに対して、橋下氏が民事訴訟で対応したのは、弁護士という立場を考えても妥当なものだと思う。
 しかし、世の中には、このような組織の力を使うこともできず、訴訟ということにも踏み切れない弱い人も多くいる。
 この点を考えて、心の傷を負わせた人間に対する、刑法処理を考えてほしい。また精神治療で対応するなら、このような
  他人の痛みに思いやれない人間
に対する、本当に効果のある治療法を考えてほしい。
 次善の策として、学校教師などの適性検査では、このような人種を排除してほしいものである。


 

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