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2016年5月26日 (木)

社会科学と物理学の違い

 先日から書いている、学問知識の活かし方であるが、社会科学と自然科学では大きな違いがある。最も、社会科学といっても、法学には現行法のシステムに対する、論理的な対応力や、種々の規則作成などにおける実務的なスキルがあるが、経済学ならば、どちらが正しいか、結論の出ていない説の対決という段階であり、これが正解と言い切れるようなものではない。
 そこで、経済学や社会学などの、どれが正解と言い難いような段階の学問が、仕事の上でどのように役立つか、考えてみたい。
 私の意見は、このような「決まった正解のない分野」で、しっかり自分の考えを練り上げて、しかも謙虚に間違いの可能性を認める人間こそ、現在の複雑多様な社会情勢に対応できる基礎力がついていると考える。
 確かに物理学に支えられた、工学においては、どのような力がどこに掛かるので、どこから破壊されるなどの予測がきちんとできている。どこまで耐えるという数値予測は、-0%~+10%などの、高い精度の範囲に収まっている。これが、物理学に支えられた、工学の成果である。
 ただし、物理学の及ばない範囲に関しては、予測の精度が急激に落ち、それを無視する向きすら出てくる。例えば、消費者の好みの色は、従来の家電では、白物と言われるように、選択肢が少なかった。
 さて、経済関係を見てみよう。この分野では、数値化できるものもあるが、それ以外の要素も、かなりの比重を占めている。例えば、人間の労働に関しても、給与の金額だけで、動機づけが図れるという見方では、多くの歪が生じている。また、給与の金額自体も、生活維持のために必要な部分と、自分のプライドのため等の数値化できない側面がある。
 このような数値化できない側面などを考慮して、しっかりした理論を構築するためには、ヘイグの方法論をもう一度見直すべきではないかと思う。

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