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2016年5月30日 (月)

不安定なものをどのように治めるか

 昨日書いた、「本来不安定」という認識で、世の中を見ると色々なものが見えてくる。例えば、学校教育において、教師に従うのはなぜだろう。これが、教師の方に力があるからという論点なら、赤本依存の教師に本当に実力があるのかという議論になる。実際、父兄の方が学識が高い時にどうなる。さらに、例えば音楽の教師に対し、子供のころからレッスンを受けていた子が、
  「先生の音は外れている!」
などと指摘したときにどうするのだろう。実際これで、音楽実技授業ができなくなった教師がいる。
 ここで、教師に従うのは、「決められたルールに従うことである」という論点もある。私は、これが一つの答えだと思う。しかしその教師が、「君が代は拒否する」と、ルールを無視するなら、その教師が気に入らなければ、反抗してもよいという議論になるだろう。
 明治からの教育には、教育勅語という権威の裏付けがあった。しかし、教育勅語を戦後の教師たちは否定している。しかし、教育勅語から与えられた権威だけは持ち続けたいという願望が、彼らの行動に見えている。
 本来、教師はそれなりの力を持っていて、その力を維持するために不断の努力をしている。これを皆が見ているから、尊敬され権威が生じるはずである。これがおかしくなっているのではないかと思う。
 この話は、もう少し広げることができるだろう。例えば、先日あるテレビで、寺の存続が難しいという話をしていた。理由は、「その地域で死ぬ人が少なくなっているから」である。つまり、葬式をするしか、収入の当てがないからである。
 私の知っている、日蓮宗の某寺は、ほとんど信徒がない状況で、一つのお堂しかない状況から、加持祈祷などで困っている人の面倒を見、色々な法事に人々を導きいれて、一代で本堂などを作り上げた。住職は、信者の親戚でカルト宗教にはまった人がいるといえば、自ら引き取りマインドコントロールを解いている。これが、仏門に使える本当の仕事だろう。
 もっと言えば、総合職で採用されてもその地位は、不安定なものである。管理職や経営者も同じである。自分の仕事できちんと結果を出す。これがない限り不安定な地位にいることを意識しないといけない。

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