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2016年5月28日 (土)

同じ教科書を使っても

 先日、あるSNSで
   「どの大学でも同じ教科書を使っている。それならXXにこだわる必要はない。」
という書き込みを見た。
 確かに、知識付与という観点で見れば、同じ教科書ならば、同レベルの知識しか得ることができない。しかしそれを言うなら、自分で教科書を買って、勉強するほうが、はるかに効率よく勉強できる。1冊の教科書を半年で完了させるなら、20時間程度の集中して読み込むことで、その知識を得ることができるのではないか?
 大学より上での教科書の働きは、そこに書いている知識を土台にして、そこからどこまで検討を深めていく道具である。高校までの教科書の多くは、その記述で完結し、その情報を習得することに重点があった。ただし、実技系の教科書はそれだけではない。体育の教科書は、ルールを教える場合には知識付与として効果的だが、体の使い方などは、実技として習得しないと価値がない。
 大学での教科書は、考え方を身に着けるため道具である。そこにはいろいろな形がある。完成した理論の美しさと、使い方を示す場合もある。そのような理論を、作り出すための道のりを示す場合もある。また、一つのとがった見方を示す場合もあれば、複数の見方を対比する手法を示す場合もある。
 このような学問の仕方を、きちんと身に着けておくことが、学生時代には大切ではないかと思う。

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