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2016年5月16日 (月)

自分の考えに責任を持つということについて

 自分の考えに責任を持つということについて、
   山本七平著 「常識」の落とし穴 文春文庫 p132~p136 
       こんな日本人に誰がした? 
に参考になる考えがある。
 「君子豹変」「小人革面」この対になる言葉が日本では片側しか伝わっていない。本当は、これに加えて「大人虎変」という言葉もある。虎の皮はきちんと生え変わる。豹の皮は、まだらに変わる。一方、中国の庶民は、「面を革める」が決して、心からは服従しない。従って、政治責任は士大夫(大人・君子)にのみあり、庶民には関係ない、これが中国の伝統思想である。

p134から引用
昨日まで日章旗を振っていたものが、今日はすぐさまマッカーサー様々になり、マッカーサー神社を立てようといった話もあったのだから恐れいる。
~一部略~
ところが彼が罷免されて帰国すれば、そのとたんに彼は消えてしまう。中国人がこれを典型的な「小人革面」と見、そういう小人に政治的責任を求めても無意味と思っても不思議ではないが、それが日本人にとって名誉か否かは、各人の判断に任せよう。

山本の認識は、

しかし日本人は、中国人ほど徹底した「小人革面」を実行するほどの政治哲学はない。同時に「星条旗・赤旗・日章旗」をもって、毎日勢力のある方を見て、その旗を揚げるなどという芸当はできない。
しかし、幕末の会津の農民は、武士の戦を無視し、勝った方に顔を向けていた。

という観点で、明治の国民への「武士道教育」の結果、皆が「君子」としての行動もどきをするようになったという考えである。

 私は、この指摘に加えて、明治以降の学校教育の、教科書の貢献をあげておきたい、教科書という形の権威をそのまま信じる。自分の考えで、判定せずに権威に従う人間を大量生産する。これが明治以降の日本の形ではないかと思う。従って、権威の元が変化すれば、自動的に対応する。戦後の転向状況を見ればこの説が正しいように思う。

 しかし現在は変革の時である。自分の考えで、今の状況を調べて判断する能力が、色々な局面で必要になると思う。

 

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