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2016年5月25日 (水)

自分で作るから修正できる(失敗への強さ)

 近頃の若い人たちに対して、「打たれ弱い」という意見を時々聞く。私も、若い人を教えているときには、
  「一つ間違いを指摘すると、全人格を否定されたように感じる子がいる」
ということは実感していた。
 この理由を考えてみたが、一つ可能性として、現在社会の完成度の高さがあると思う。現在社会の多くの物は、今の若い世代にとっては、完成して与えられたものである。そこでは、『正解』がきちんと存在する世界である。従って、正解を答えないということは間違いであり、否定されるということになる。
 一方、私が仕事をした1970年代から1990年代は、まだ未完成のものが多くあり、きちんと検討した物でも、必ずと言っていいほど抜けがあり、失敗を積み重ねて修正しながら完成させていった。このように、自分で作り上げるから、不完全なものも許容するし、失敗を受け入れた後、修正することもできた。
 このような違いが、失敗に対する対応力が弱いというのではないかと思う。
 さて、前に電磁気学の学習方法について、完全に体系のできた後は、その体系に従って学ぶのか、それとも電磁気学の成立の道のりを追いかけるのかという、二つの学び方を考えた。この話を、上記の失敗の受け入れという観点で考えると、後者の学問体系の成立という観点で学んでいれば、
  「不完全なものを完全にしていく過程」
を知識としてではあるが知ることができる。これだけでも、失敗に対する適応力をつけることになると思う。
 もう少し踏み込んで議論すると、数学はきちんとした体系づけられた学問で、定義・公理から、演繹的に展開すべきものと思うかもしれない。しかし、数学の歴史を見れば、自然数(1,2,3、・・・)から、ゼロを追加する。負の数を考えて、足し算と引き算が自由にできるようになる。掛け算と割り算で分数の世界が加わる。2次方程式などで、べき根が加わる。そして、3次方程式と付き合うためには、虚数が必要になり、微積分のためには、無理数まで拡張しなければならない。こうした、拡張の歴史をたどっているのである。そして、その過程では、「何を認める、認めない」という論争が発生している。
 このように、拡張する時には、色々な論争があり、当然のことながら失敗もある。この失敗を、悪いものではなく、それなりに考えた結果であり、その貢献もあったということを知ることも大事だと思う。
 学問の歴史を知れば、失敗の大切さもわかってくると思う。そして自分で作るなら修正できる。人が作ったものは修正できる、と考えてチャレンジしてほしい。

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