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2016年5月18日 (水)

「狡知」を超えて実力発揮へ

 先ほど書いた記事の、

「限られた世界だけしか見ない」特性は、ある意味学校教育への適合度が高くなる。言い換えれば、「教科書がすべて」人間の成績はよくなる傾向がある。ただ し、実際に世間で生きていくときには、教科書通りに試験では回答し、実生活では、適当に周囲に従う「狡知」を身に着けるほうが、生きていきやすい。
 学校教育を、相対化する知恵を「狡知」というラベルが適当かは、よく考えないといけないが、教科書の世界に閉じこもる「純心」の危険性は、きちんと考えないといけないと思う。そして、必要に応じてこの世界から出る工夫も必要だと思う。 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-575b.html

に関して、もう少し思いついたことがあるので、書き足しておく。
 この部分で言いたかったことは、学校教科書の世界に閉じこもる危険性に関し認識すべきということである。しかし、実際の世の中で、学問知識を生かすためには、一度教科書的な理想世界に閉じこもって、検討することも重要である。理想世界で考えることで、物事の本質が見えることがある。現実世界は多様で複雑である。しかしその中でも何が関与しているか、方向付けが見えれば、真の原因が見えることもある。このように理想化した社会での検討が、説明や改革の糸口になることがある。
 しかし大事なことは、これだけではいけないということである。学問的な理想社会から見えたものは、あくまで一つのアイデアであり、切り口である。理想社会から現実の世界に出て、批判にさらされながら、それを適用するための調整を行わなければならない。
 このような、苦難から逃げるため、余計なことを言わず、学問知識を封印する「狡知」に頼る人間も少なくないだろう。
 しかし、本当に役に立つ人間は、多様な価値観を理解し、色々な世界があることを知って、その上で自分の持っている『理論知識』の『理想世界』から、アイデアを引き出し、『現実世界』で実現する人間である。

 

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