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2016年6月 7日 (火)

第2次大戦時の日本軍でみるカルト集団の作り方

 先日から書いている、日本社会の特異性に関して、第2次大戦時の日本の軍指導者に絡めてもう少し議論しておきたい。
 まず一つ大事なことは、第2次大戦時の日本軍は、極端な精神主義で、
   「大和魂のこもった竹やりでB29を落とす」
と揶揄されている。しかし日露戦争時代の日本の陸海軍の指揮者は、あくまで現実的である。
   「夜襲の成功は、こちらの方が鉄砲を多く持っていたから」
と正直に答えている。旅順の乃木将軍の攻め方も、一部に批判はあるが、あくまで正攻法である。また日本海海戦の東郷平八郎も、鮮やかなほど敵味方の大砲の命中率に関して見切っていた。
 ただし、このような正攻法の軍備を備えることは、日本の国家予算の大部分を食い尽くすことになり、国としての破綻を免れない。日露戦争時の国家指導者と軍幹部はこれをよく知っていた。従って、東郷平八郎の名文、連合艦隊解散の辞において
   「百発百中の砲一門は、よく百発一中の砲一門に対抗し得る」
という言葉が出てくる。これは、現実的ではないことは、彼ら軍指導者は百も承知だった。そして、陸軍は、「機密日露戦史」などの教材で、奇襲重視の教育を行う。この結果、日本陸海軍は、少ない予算で工夫する訓練至上主義の「熱烈な信者」となっていく。この文脈で考えると、晩年の東郷平八郎が、英米との軍縮交渉において
  「訓練には比率も制限もない」
と血気にはやる将校を諭したのは筋が通っている。

 しかし、このような精神論は、実際に(総力戦)では戦わない、という前提での話である。対外交渉に際して、
  「わが軍の能力はこれほど高い」
と示すことは、重要なカードであり、その場ではできるだけ効果的な数値も必要である。例えば、日本海軍の大砲の命中率は、アメリカ海軍の数倍であった、という話が伝わっている。しかし、これは「日本的」演習での成果である。この内幕を言うと、日本海軍の演習では、根性を見せるため、相手の攻撃から逃げることは、原点対象になっている。山口多聞が演習時に、回避行動をとりながら戦い、相手側をたたきのめしたが、これは「精神的に劣る」ということで、減点されたと聞く。このような数値であるから、実戦での命中率など信用できない。しかし、外交交渉での有利なカードの一つである。例えば、C国がS諸島に上陸したとしても、わが自衛隊の戦力は、十二分に殲滅する能力があると、同盟国の某国が発表する。これだけでもかなりの抑止力になる。

 さて、このような軍隊という、本質的に現実的な集団を、精神論の塊の「カルト集団」的状況にしたのは、どのような手段だったのだろう。これに関しては、日本陸海軍の学校制度に主要な力があったと思う。与えられた正解をきちんと覚え、それを信じる。このような刷り込みがあるから、カルト的な行動に走ったのではないかと思う。

 そして、教科書として与えられたものは、自分で検証してつかんだものではない。そこで、前提になるものがひっくり返ると、すぐに方向が変化する。8/15のあと速やかに
  「マッカーサー万歳!」
となり、自衛隊はアメリカ軍の指揮下で動くようになる。(この中には、旧日本軍人も多くいる)

 これが一つの歴史の教訓である。

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