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2016年6月 5日 (日)

日本人の手のひら返しに関しその理由

 日本人の第2次大戦後の「鬼畜米英」から「マッカーサー万歳」への手のひら返しは、山本七平の色々な著作にも出ているし、私もその手の話を聞いている。一方、1960年代から70年代の学生運動の時代を見れば、ベトナム戦争反対などの学生運動をしていた人間が、多くは企業に就職し、従順な社員になっている様子も見ている。(いわゆる軍需的な産業に就職したものも含めて!)
 このような手のひら返しが、行われる理由について少しヒントが見つかったので、忘れないうちに書いておく。あるテレビ番組で、
  「アメリカでは、高校ぐらいから、原爆投下の意義について自分で考え
  討論する機会がある。日本のように、教師の『正解』を押し付けない。」
という話を聞いた。
 これはかなり本質をついていると思う。
 日本の教育は、教師が正解を持っていて、それに合わせて、論理をつなぎ合わせる訓練をしている。自分で、原点に立ち返って考える訓練ではなく、教師などから与えられた出発点から始まり、そこから教材で与えられた、推論のブロックをいかに上手につなぎ合わすか、これで成績が決まる。このような教育が重点であるように見える。極端にいえば、基本原理に返る哲学ですら、カントなり、プラトンなりの正解があり、そこで彼らが何を言ったかが問題になる。このような教育を受けているように思う。
 さて、なぜこのような、教育方針になったかを考えると、一つは日本の制度が、本質的に中国なり、西洋文明なりの模範をもらってきて、それをまねする「継受法」の体系で、できているからだと思う。特に明治の法制度は、自分で考えだした固有法ではなく、イギリス、フランスそしてドイツの法体系をまねて作ったものである。戦後はそれに、アメリカのものを加えて、少し挿げ替えただけで、自力で固有の法規を作るより、模範を他に求めることが多かった。
 そして、このような規則に、きちんと縛られれかというと、そこにも曖昧なものがある。日本社会は、本質的に人間関係が比較的密な「村社会」である。その行動原理は、「隣と同じ」ということである。これが、与えられた規則が存在し、それに従うものが多くいたら、自然に流れていくとことが多い。
 そしてこのような、体制に流される人間は、学校教育では、教師の指示に流れる便利な存在になる。このような学校教育に適合した人間は、他の組織に入っても体制に従うようになる。これは大学卒業者でも、多く見受ける現象である。自分の考えは、与えられた前提の下でスタートする。その前提が変われば、すぐに流れに従う。これが、日本的手のひら返しの構造ではないかと思う。

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 昨日書いた、話にもう少し補足しておく。昨日は、日本人の手のひら返し体質に関して [続きを読む]

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