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2016年6月10日 (金)

会社に育てられるということ

 先日、日経BPのHPでサムソンの転職率の高さについての議論があった。
 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/246040/060700025/?n_cid=nbpnbo_twbn&rt=nocnt
 近頃はだいぶ崩れてきたが、日本での転職はあまり多く行われていない。この理由を少し深堀してみよう。まず日本の採用の基本は、新入社員の一括採用である。これは、人材の採用であり、人財の採用ではない。言い換えると、未完成の素材を採用し、社内で育て上げることを基本としている。これが、サムソンの事例と微妙に異なっている。だいぶ古い話で、申し訳ないが、数十年前にアメリカのコンピュータ利用のプロジェクトで、PASCALという言語で開発した例があった。この言語は、教育用には優れているが、大規模開発には使いにくい欠点があった。しかしそれでもPASCALを使った理由は、
  「大学教育で共通的にPASCALを使っていた」
からである。当時これを批評した日本の雑誌は、
  「日本なら、社内のOJTで既存のFORTRANを教えて、それで開発させる。」
という風に書いていた。
 このように、大学での財産をきちんと持った、一人前の人財としての採用か、基礎力を見たうえで採用後に育てる採用かは、どちらにも長短がある。社内で育てた場合には、社内の財産蓄積がスムーズに伝わるので、すり合わせ型の物づくりがしやすくなる。そして、その中では、各社員も力を十二分に発揮できる。しかしその反面、ポータブルスキルは身につかない。従って、会社を離れることができなくなる。
 一方、個人が人財として独立した場合には、技術の伝承のためにもモジュラー化していくと思う。現在は、日本もこちらを向いているが、そのためには大学側の学生育成力がもう少ししっかりしてほしいと思う。
 科学哲学的な立場で、しっかり基礎を見据えて、自立する成人を出してほしい。ない点だけの人間で、あとは育ててほしいという発想なら、会社への滅私奉公しかないと思う。

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