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2016年6月26日 (日)

学校教育と部活の関係

 学校の先生方の負担軽減の一環として、部活を休む日を作るという話がある。これについて、少し考えてみたい。
 まず学校教育における部活の意味である。私は、部活に関しては色々な意味で、狭い意味での学校教育、つまり教科書知識を教え込む教室主体の教育の、欠けている部分を補う大事なものと考えている。具体的にいうと、一つのことをできるようにするまでの繰り返し鍛錬と、先輩後輩を含めた幅広い人間関係である。
 人間関係については、皆の認識があると思うので、以下では繰り返し鍛錬について、少し考えてみたい。現在の学校教育では、知識付与とその確認のペーパーテストに重点が置かれている。これを正解を暗記する能力を鍛えると極言する人もいる。確かに教科書には、色々な情報が載っており、それをある程度理解して、記憶していればペーパーテストの正式は良くなる。しかし、実際の場でその知識が使えるようにするためには、本来繰り返しての訓練が必要である。
 例えば、小学校の算数の計算でも、単にルールを覚えただけでは、なかなか実用的にならない。そのための練習問題を多く解くことで、自働的にできるようになる。中学や高校でも、英語などは繰り返し訓練して、その場で適切な文章が出るようにする必要がある。
 しかし実際の教室では、同じことを繰り返すより教科書を先に進めて、多様な知識を教えることを優先している。これでは、繰り返して身に着けるという、訓練を経験することが少なくなる。一方、部活の場においては、使える力が必要であり、繰り返し訓練し、しかも自主的に繰り返すことも行う。このような経験をすることは、社会に出て、色々なことを経験したとき、自分の力を身に着けるための方法を知っているということで、大切な財産になる。
 このように考えると、部活を減らすことが良いのか、もう一度考えるべきである。逆に考えれば、教師のボランティア的な部活指導ということでなく、部活を人材育成手段として、きちんと位置付けることが大切ではないかと思う。

 なお、知識付与型教育も重要である。少し誇張した例を挙げておこう。ギャグで
 「私はXX会の空手をやっています。」
 「どこの道場?」
 「通信教育です。教材を手に入れました。」
というのがあった。これを、
 「空手の教材を持っているから、喧嘩が強いなどとは言えない。」
と軽く流すことは簡単である。しかし、ある教材には
 「手の力を抜き鞭にように振る方が速く相手に届く」
という教えがある。この情報を手に入れて、一人で鞭のように手を振る練習をする。適当な目標に当てる訓練をする。これなら、かなり強くなる可能性がある。こうした知識は、努力の方向付けに有効である。成功するのはどちらと教える知識付与と、それを実行する個人の努力、この両面が必要である。

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