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2016年7月 1日 (金)

想像力の限界について

 昨日書いた貧困問題に関して、もう少し議論しておきたい。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-46d2.html
 この中で、東洋経済オンライの記事に触れていたが、そこでは
  「生活保護をもらっても酒に使ってしまう」
という話が在った。
 http://toyokeizai.net/articles/-/124699
他にもテレビで、親の虐待から逃げた子が、働いてもその金をゲームセンターで使ってしまい、貯金もできないという状況を報道していた。

 この話、確かに
  「血税の生活保護を受けている人が、パチンコや酒に、それを使うことが許されるのか?」
という議論になる。これは、苦労して働き、納税している人にとってはとても腹立たしいことだと思う。
 しかし、この話をもう少し踏み込んでみよう。このような人たちは、子供のころから、まともな人間関係の構築もできていない。自分が何をしてよいかわからない。一人になったとき、何もすることがない。このような人生を送ることを余儀なくされたのである。子供のころから、「臭い、汚い」と皆から相手にされず、人として扱ってもらえなかった。勉強もできず、分からないことを教えてくれる人もいない。
 このような育ちの人が、自分一人でお金ができたとき何をしたらよいのだろう。ゲームセンターで、少しは遊ぶことができる。あるいは少しは酒を飲むと気持ちが良くなる。このような事におぼれるしか、生きていく道がないのではないか。
 このような、状況から抜け出すために、大阪の一部などでは、生活保護者の就労支援などを、行っている。しかし、この業務は、並みの力でできるものではない。カウンセラーなどでもかなり力のある人が、覚悟を決めて、しかもすべてを投じる覚悟でようやく成立する仕事である。
 考えてみれば、昔なら神社やお寺に遊びに行けば、色々な人を受け入れる余地があった。このような力が、無くなってきたのが現在ではないかと思う。

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