ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 号泣県議の功績 | トップページ | ベーシックインカム論の前に必要なこと(続き) »

2016年7月23日 (土)

ベーシックインカム論の前に必要なこと

 新聞などにちらほらと「ベーシックインカム」を行うべきという、議論が見えてきた。私は、国民皆が、労働の有無にかかわらず、最低限の収入を保証される世界という、ベーシンクインカムの理念には、基本的には賛成である。
 特に、現在の技術進歩により、ロボット化・AI化で、多くの仕事が機械に置き換えられていく。そこで、機械に置き換えられない仕事を行えと、『総合職』による検討業務を増やしたり、対人スキルを必要とする、人とのかかわりに人員を割り当てるようになってくる。しかし、実際に
  「総合的な検討を行いきちんと結果を出せる人財」

  「対人スキルに優れて、人を受け入れ育てる人財」
等が、どれほどいるかという議論はきちんとできていない。それどころか、
  「人がいるから仕事を作る」
という、「仕事のための仕事」という無駄が生じているのが、悲しい現状である。

 このような、状況を考えると、
  「ベーシックインカムを保証する代わりに、無駄な仕事をすべてやめろ」
という議論も説得力を感じるものがある。ただし、これを言っているのが堀江貴文氏などだと、ちょっと別のものを考えてしまう。確かに、経営的なセンスとして、無駄な仕事を切り捨てる判断はあると思う。

 しかし、無駄な仕事と切る捨てられる人たちの心について、ホリエモンなどの、一面的な議論をする人は、理解しているのだろうかという疑問がある。そもそも、日本の勤労意欲というものは、律令政治の時代の
  「開墾田が自分のものにできる」
そして鎌倉武家政治で、その事実を確定した時代からの
  「一所懸命」
の伝統がある。余談であるが、武家社会は、本来農民社会と階層的に離れたものではない。平安貴族からは、令外の官や、その土地の警備の仕事という、下々の立場であった。つまり、日本人の大多数は、
  「働かない優雅な貴族」
という文化とは違う世界に住んでいる。一方、武家と農民が階層的に離れていないということは、西欧文明に生まれた「エリート責任」が、弱いということにもつながっている。明治維新の長州奇兵隊を見ても、武士の責任感などと言うものが無く、武家以下の階層から皆が戦ったということがよくわかる。
 このように、「全員参加」型の文明を、切り替えるための、モラル維持や、時間の使い方の受け皿など、広範囲の議論をしたうえでの、ベーシックインカム論が必要ではないかと思う。

« 号泣県議の功績 | トップページ | ベーシックインカム論の前に必要なこと(続き) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ベーシックインカム論の前に必要なこと:

» ホリエモン流のベーシックインカム論の危険性 [勉強の方法補充]
 先般から書いている、ベーシックインカム論の危険性について、もう少し議論しておく [続きを読む]

« 号泣県議の功績 | トップページ | ベーシックインカム論の前に必要なこと(続き) »