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2016年7月16日 (土)

山本七平の見直し(続き2)

 昨日に続いて、山本七平の「戦争責任は何処に誰にあるか」について、再発見事項を書いておく。
 明治の文明開化について、朱子学を中心とする儒教精神と、西欧文明の合理化思想の微妙な結合の産物ということは、色々なところで指摘されている。儒教は表に出なくても、武士道などと言う形で、儒教的な精神面を強調している場合もある。
 さて、山本七平は、儒教的な精神を
  「家族重視」
という形で説明している。
 一方、これに対抗して西欧文明では、
  「個人」
を大切にする。そして明治末期からの、日本の文学の一つのテーマは「個人」であった、というのが山本七平の指摘である。
 私は、このまとめ方は、若干乱暴な気もするが、本質をついているような気もする。

 さて、ここで自民党の憲法改正案を見てみた。
https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf
 この中では、「家族」重視の表現が、前文から出てくる。一方、13条など「個人」という表現は、「人」になっている。
 私の、個人的意見では、「個人」としての尊重より「人」としての尊重が、良いと思う。理由は、「個人」というのはある程度の自覚ができた、成人を対象にしているイメージがある。一方、「人」には、幼児から老人などの広い範囲が含まれる。特に自分だけで立てない、「個人」としての独立ができなくても、「人」としての尊重を受けるべきと考えるからである。

 しかし、大きな流れとして、「儒教的精神」によって、憲法を考えるという発想には、反対である。このような、根本的な問題への切り口を与えるものとして、山本七平の直観力は重要である。

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