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2016年8月12日 (金)

自力と他力そして大乗

 昨日書いた、「自分で解決せずに陰謀論で済ませるなら何も解決しない」に関して、宗教の切り口で考えてみたい。日本の仏教には、自力と他力の違いがあるという。禅の教えが、自力であり、念仏やお題目に頼るのが、他力と言われている。
 ここで仏教におけるもう一つの分類である、大乗と小乗(これは差別的表現ということで、上部座仏教と今では言っている)の区別がある。ここで大乗の教えは、一人の人間が悟ったとき、他の人間も救うという立場である。大きな乗り物という考えで、大乗が出ている。一方、上部座仏教では、個々人が出家して悟ることで救われる、という立場である。
 ここで自力での悟りを目指す、禅宗などで、大乗の立場での他人の救済はあるのだろうかという疑問である。
 これに対し、自分が悟ったあとは、他人の救済を行動で示している禅僧の姿が一つの答えである。今まで得たものを、他人のためにも使う。もっと言えば、世間がよくなることが自らの幸せと実感している。従って、人の不幸や悪因縁を、自ら引き取り、仏の力、悟りの力で浄化していく。このような力が本当の大乗だと思う。

 さて、ここで自力と他力の区別を書いたが、これも単純に割り切れるものではない、禅や天台の止観業でも、本尊を拝むなどの他力的な行動はある。ただここで大切なことは、自力をきちんと磨くことで、仏の力を知ることができる。仏の力を知るから、他力に頼ることができる。自力もなしの人頼みではなく、自力があるからこそ、より上の力を理解した、他力へのお願いができる。これが、最初から他力だと、そこまでの深みに行けるか難しくなる。

 もう少し言えば、天台の止観業でいう「一念三千」の教えであるように、地獄から仏の世界の幅広い世界を、少なくとも想像できないと、本当の救いはできないのではないかと思う。自力、色々なものに向き合い悩む。その上で、自分なりの答えを出す。しかしそれでも弱いので、他力に助けを求める。ここまでいかないといけないのではと思う。

 これと関連して、思いついたのだが、わが国の「平和憲法」に関しては、制定時の人たちは、戦争の地獄、他国の侵略(ソ連の協定破り)などを実感として知っていた。
 しかし、今の人たちは、このことに関する想像力が欠けている場合も見受ける。これをどうするか、もう少し考えるべきではと思う。

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