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2016年8月18日 (木)

大人になるための教育とは

 民主主義の前提条件は、成熟した責任ある市民の存在である。自分たちが選んだ議員や政治家に託すためには、自分の考えがあって選出する。そして、その結果に対しても、ある種の責任を持つことが大切である。
 山本七平が指摘するように、
  「日本の戦争責任は軍部を予算面でコントロールできなかった議会や内閣にもある。」
ということは、彼らを選び、世論として支持した国民も責任がある。このことに認識が薄いように思う。
 しかし、考えてみれば、国民の責任と言われても、何か納得できないのも事実である。確かの山本七平の指摘の通り、
  「日本国憲法の発行にあたり国民投票を行う」
ことでもあれば、もう少し参加意識、責任意識が生まれたように思う。
 その意味では、大阪の「都構想投票」は大きな意味があった。あの時、市民・府民は自分の意見が政治に反映されることを、少しは感じたと思う。

 さて、ここで見方を変えて、自主的な考えを持ち、それが重視されるような体験が、今まで育った中にあったか、少し考えてみた。少なくとも、高校までの教育で、自分の意見が通るということは、本当に限られた範囲であった。そして大学では、一部の学生運動での意見の主張は、ある意味嫌悪感を持ってしまった。そして自主的な研究姿勢は身についたが、社会一般への意見を示すなどの機会もなかった。
 会社に入っても、与えられた範囲の仕事という発想が主であった。これは、管理職への切り替えでも失敗した問題であるが、自分の考えで投資し、その結果の責任を取る、このような経験はできていなかった。

 このように考えると、自分の意見を持ち、それを表明し、取り入れられる。このような経験も、しっかりした方法論の教育もなしに、成熟した『市民』になることができるのだろうか?
 一つの宿題のような気がする。

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