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2016年8月13日 (土)

人として成長するために

 人としての成長について、少し考えてみた。現在の学校教育は、色々な問題点はあるが、知識付与のシステムとしてはよくできていると思う。しかし、これで落ちているものについて、もう少し考えてみた。
 私が最初に思いついた問題点は、仕事の報酬である。仕事の報酬と言えば、金銭的なものが、まず考え付く。そしてそれだけしか考えない人も多い。しかし、仕事の現場では、その仕事に関係した人たちが、色々と感謝することが、作業者の大きな満足となっていることも多い。また、自分のスキルなどの工場を実感したり、他人から褒められたりしたことが、満足感を与えていることも少なくない。このように、金銭以外の報酬の効果について、もう少し考える必要があると思った。
 さて、このような金銭以外の報酬に関しては、他人の感じ方に影響を受けることが多い。そこで、このような感じる力は、どこで育つか考えてみた。まず、学校教育の場を考えると、教室では、教師と生徒という上下関係であり、生徒側が教師の心を思いやる必要はない。生徒同士の関係は、対等な関係だが、その間の思い遣りというものは、現在の教室内教育で育てるには、少し難しいものがある。確かに部活などでは人間関係重視で、思いやりなどが育つことがある。しかし、成績という面で、そのような力が評価されることはない。
 ここで、従来の日本的社会では、どのような対策が取られたか、少し考えてみた。戦後体制の多くの企業や公務員のエリート教育には、このような問題に対して、寮生活、長時間残業という形で、会社関係の人間だけでの、濃密な時間を若い世代で経験させていた。こうした関係を通じて、動機意識などの一体感や、お互いの思い遣りを育てていた。ここで、他人への思い遣りを育てる効果もあったと思う。成績優秀者をバランスよく育てるための、集団生活の活用である。ここでは逆に、集団の中で認められることで、人間的な力を育成するという面もある。
 ただし、このような育成方法には、人間として認める範囲を狭める、副作用もあった。会社人間は、会社の人間にしか思い遣りがないという事態である。
 現在は、ダイバーシティで多様性を認める社会である。このためには、もう一度、他人の心を思いやる力を、子供のころから育てる仕組みが必要ではないかと思う。

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