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2016年8月30日 (火)

教科書的発想で壊されるもの

 官庁の発注する仕事は、何でもかんでも競争入札が基準らしい。しかし、これで失われるものがあるという議論ができているのだろうか?
 先般も書いたが、宮中祭祀で使うものを、宮内庁が
  「入札にしろ」
と言ったという、笑えない話が在るらしい。
 このように、伝統や蓄積が必要な分野に関しては、特定の部門や機関に集中して資本投下し、育てて伝承することも重要ではないかと思う。現在、この観点が抜けているのではないかと思う。何でもかんでも入札というのは、教科書的発想ではないかと思う。
 さて、「教科書的発想」で、もう一つ思いついたことがある。単に、教科書で情報を伝えるだけで、わかった気になる。これだけでは、実際に使えるということに、大きなギャップがあるという話である。
 例えば、聾唖者に対する手話がある。これは、手話ということを知っているだけでも、確かに役立つことはある。しかし、本当に聾唖者の気持ちを読み取り、こちらの言いたいことを伝えるレベルになるには、手話のスピードをもっと上げる必要がある。このようなスピードが身につくためには、かなりの訓練が必要である。
 そして、本当に聾唖者とのコミュニケーションをとり、彼らの育成などに役立つ人材を育てるなら、長い年月の訓練の蓄積が必要である。このような継投だった取り組みが、政治に求められるものではないかと思う。
 このような問題に関し、今井絵理子参議院議員が答えてほしいと思っている。彼女は、障がい者と自ら長く接した経験のあるし、自分の体験からスキル蓄積の重要性を、よく知っている。一流のタレントを育て、その地位を維持するのは、並々ならぬ努力の継続が必要である。そのような世界を体験した、今井議員の活躍に期待したい。

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