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2016年8月 8日 (月)

教育で偏見に対処できるか?

 先日、一橋大学の構内で起きた、「同性愛だと暴露された」ための転落死事件に関連して、性的マイノリティの偏見をなくすための、教育が必要という議論が出ている。
 このような、偏見事件などが起こると、関係者は
  「再発防止に向けて教育を徹底する」
というのが、お決まりの答えである。
 しかし、この場合の教育として
  「差別はいけません」
というだけでは、本当に効果があるのかは疑問である。口先だけの指導、それに対して、言葉だけの反省、これは相模原の殺傷事件でも、措置入院の解除の時に、発生した問題でもある。

 ただし、LGBTの問題に関しては、教育により偏見を和らげたり、消し去る可能性があると思う。これは、歴史の見方である。一つのポイントは、江戸時代の性風俗を、西鶴の「好色一代男」などから、明らかにすることである。西鶴の作品などを見れば、男の子は、最初は衆道の念者として、男子同性愛の受け側になる。そして、年が大きくなると、愛する側になり、そして女性との性愛も行うようになる。これは、西鶴の小説だけでなく、三代将軍家光の話にも、男ばかりを愛するようで困るという記述もある。
 また、江戸城の大奥などでは、女性同士の同性愛も多く行われていたという話もある。つまり、江戸時代は、多くはB(バイセクシャル)が普通であり、色々な性愛の形があたということである。
 さて、これがLGBTを抑える向きに走ったのはどのような、経緯があったのだろうか?一つは、明治の文明開化の、西洋崇拝にあったと思う。西洋から、色々な法律などを模範として受け入れた。それらの法律の今般には、西洋文明の価値観がある。その価値観の底流にはキリスト教の教えがある。
 キリスト教の教えには、決まった夫婦の間の性行為を正しいものとし、避妊すら悪と見る発想がある。この影響が明治期からのLGBT偏見を生み出したものだと思う。

 このような、偏見の根拠は、他所からの押し付けで、日本の古来の伝統にはなかったものという教育なら、少しは偏見解消に役立つのではないかと思う。

 もっと踏み込めば、今の日本が受けている、西洋文明を通じたキリスト教的価値観の重視に関して、少し反省する機会ではないかと思う。

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