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2016年9月30日 (金)

数学の専門性の功罪

 先日から、フッサールの現象学について、少し本を読みだした。そして、幾何学についてもっと考えるべきと気が付いた。
 つまり自然界というか、われわれの生活している空間において、直線というものは、存在するのだろうかという議論である。これを読む人は

   

「ばかなことを言うな!当たり前だ!」

というかもしれない。しかし、自然界の境界問題を考えてみよう。わが国の県境や、昔の国の境は、川であったり、山の尾根であったり、大きな道であったりして、直線でないものがほとんどである。確かに、アフリカの諸国の中には、国境線が直線で、しかも緯度経度と平行になっている場合も少なくない。これは、西洋文明の旧宗主国が、分け合った痕跡であり、高度に人為的なモノである。
 このように考えると、直線というものを、理想的な世界で考えだし、同じく点を考え、更に三角形や四角形、そして円を考えだして、幾何学を生み出した人類の智慧、そしてそれを伝承し育て上げる力、このようなものをもう一度考え直すべきではないかと思う。
 私の考えでは、色々と擦りあわせていくうちに、直線というものが、思考対象としてまとまっていく。しかもそれを定規という形で、誰もが使えるように技術化していく。一方、定規とコンパスでの作図の関係を、公理・定義などから推論できるようにしていく。このような自然から記述力な高い理論を生み出す力、これをもっと評価すべきではないかと思う。
 一方、純粋数学には、ヒルベルトの幾何学のように、公理と定義だけで展開するものが数学という立場もある。このような立場は数学の専門性を高めるかもしれない。しかし、専門性を高めることは、孤高の立場となる。
 幾何学の起源と向き合うことは、人間の智慧の根源に向き合うことであり、色々な応用が期待できる基礎能力を手にすることだと思う。

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