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2016年10月 1日 (土)

人工知能ブームに関する既視感

 人工知能が囲碁や将棋のトップレベルのプロに善戦したことなどの影響で、またもや人工知能ブームとなっている。しかも今回のブームは、まともに人間の仕事を置き換えることを試みようとしている。
 確かに、マニュアル通りの仕事しかできない人間や、自分で考えずにネット情報を探したり、質問するだけの人間なら、人工知能に置き換えられる日が来るかもしれない。
 しかし、このような人工知能を、実際の仕事でつかえるようにするためには、しっかりした業務のモデル化が必要である。または、ビッグデータから新しい情報を読み出すなら、その内容を解読し、適切な仮説に合わせて検証する力も必要である。

 これらのことを考えずに、単に「人工知能技術者」を求めた場合には、結局成果が出ないのではないかと思う。

 私が「既視感」と言った理由は、以下の2つのシーンが思い浮かんだからである。
 一つは、1970年代から1990年代ごろまでの、コンピュータ化の時代である。特にマイコンの組み込みソフトなどで
  「プログラムが組める人材」
を求めた。
 しかし、本当に必要なのは、業務の分析をする人財であり、単にプログラムを組める人間は、多くは会社のお荷物になった。
 そしてもう一つは、複雑系などの数学的手法のブームである。この時には、数式の理解ができる数学科出身者がもてはやされた時期があった。
 この時も、リーマンショック後には熱が冷めてしまっている。

 私の考えでは、人工知能を本当に使いこなすには、従来のソフトウエアの大規模システムの要求定義を行うような能力か、クルーグマンのように現実を鋭く切り取り、説明できる能力が必要だと思う。
 このため、人工知能には、社会科学の力が本当は必要かもしれない。ただし私の求める社会科学は、ルーマンやクルーグマンのような力である。

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