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2016年10月10日 (月)

道徳や正義における自分の持ち方

 道徳について、わが国の学校教育で教える形で。本当に身につくのか、少し疑問に思っている。確かに、法的規制のような決まったものなら、教える必要があり、知識付与の効果もあるだろう。
 しかし、道徳ということは、根本は自分の評価尺度の問題である。このような評価尺度を作る方法として、一つは善いことと悪いことの事例を積み上げていって、線引きをさせることができるかもしれない。もう一つの方法は、神様などの力で、良い悪いを押し付けるものである。
 さて、個人の尺度を、他の人に押し付けると、正義という話になる。ここで皆が納得し、共有できるものができるだろうか?この問題にしっかり向き合わないと、ネット上での炎上問題や、ヘイトスピーチ問題につながってしまう。
 日本という国は、聖徳太子の17条憲法以来、お互いの納得ということを重視している。もう少し言えば、神様などの権力による、押しつけ的な規範でなく、自分たちの納得を重視している。
 しかし明治以降の学校教育での「道徳教育」は、お上の規範の押し付けである。ただし明治以降は、教育勅語という、責任明確化があった。しかし、戦後教育には、それすらなく、しかし知識付与の延長で、教師の価値観からなる規範教育が行われている。
 この問題に本当に向き合うには、「正義」などに関して、哲学的議論が必要ではないかと思う。

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