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2016年10月30日 (日)

「格差問題」に関する学校教育の影響

 我が国の「格差問題」について、私の個人的閑職であるが、1980年代ぐらいまでは、別の形であったと思う。つまり、貧困問題であり、絶対的な貧窮者に対する支援が言われていた。
 一方現在の「貧困問題」は、相対的なモノまで広がっており、同級生と同じ生活ができないということ、これ自体が問題となっている。私は60年代に高校生活を送ったとき、家に電話がなかった。そこで、個人的な集まりに呼ばれなかった経験もある。しかしそのようなものと私も思っていたし、周りの人もそのようなものと受け止めて、グループ活動の課題なども、私の分までこなしてくれていた。そのようにどこかで、それとなくの思い遣りがあった。現在なら、スマホを持てないので仲間外れにされたと、騒ぐような案件だろう。
 さて、このような「格差」に関して、厳しくなった原因は何処にあるのだろう。私の感じる原因は学校教育、特に義務教育の変質にあると思う。1980年ごろから、学校では差別の禁止ということで、皆が主役の宇学芸会や、皆が一緒にゴールインの運動会などが、行われるようになった。これを支える原理は、
  「差別はいけない!」
である。しかし、この根底を掘り下げると
  「学校での生活が全て!この順位はすべてに及ぶ!」
という発想である。1970年代までなら、
  「学校の成績がトップ、それがどうした!」
  「運動会の一等賞、それもあるね。」
そして
  「家で~~している。すばらしい。」
と多様価値を認めていた。
 これが無くなった理由は、田中角栄の学校改革だと思う。学校教師の給与を大幅に上げた。その結果教員志望者が増加し、選抜が厳しくなる。その結果、学校成績優秀者が多く教員になる。彼ら(彼女ら)は、学校成績優秀で、これを第一とする価値観お人間が多い。このような形で、
  「全てが学校生活、その順位を大切に!」
という形になったように思う。
 格差問題の対策には、このような議論も必要ではないかと思う。

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