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2016年10月29日 (土)

いわゆる「格差」問題について(妬みと怨み)

 格差の問題を考える時、いわゆる「格差社会の被害者」から、怨みの言葉や、妬みの言葉を聞くことが少なくない。しかし、「怨み」と「妬み」の心には、少し違いがあると思う。今回は、この両者について少し考えてみる。結論を言うと、現在のわが国の格差問題の根本は「妬み」の心があり、これを明確にしないと対策が的外れになる、というのが私の意見である。
 まず、怨みの言葉は以下のようなものがある。
  「あいつのせいでこうなった。」
  「社会が悪いから自分は機会を得なかった。」
一方、妬みの言葉は以下のようになる。
  「あいつは上手く立ち回って、俺は損している。」
  「うまい汁を吸っている奴がいる。」
両者の違いは、怨みの場合には、「自分に機会を与えられなかった」、「自分の機会をつぶした」という、自力の部分がある。一方、妬みの場合には、どこかに転がっている、「おいしい話」をつかんだ他人を羨むという、他力依存の面がある。
 現在は、後者の「妬み」の心が、わが国には多く存在するように思う。例えば、貧困問題の報道においても、その報道において被害者として扱われた人間が、色々な同情や支援を受ける。そうすると、ネット上などで、「実際は、贅沢しているのに、メディアに取り上げられて色々な利益を得た。」というような意見が飛びだす。
 このような、妬みの心が生じるのは、
  「どこかでうまい汁を吸っている人間がいる」
と信じていることが、一つの原因である。確かに、1970年代ぐらいなら、マルクス主義が元気であり、
  「資本家は美味しい目をしている」
という信仰があった。さらに現代でも、
  「既得権にぶら下がっている高齢世代は得をしている。」
という若い世代の反発がある。
 そして、Y○知恵袋などの質問を見ても、
  「上手くいく方法がありますか。」
という抜け道探しの質問が多くある。これも裏返せば、
  「どこかで要領よく立ち回っている人間がいる。」
と信じているからである。
 このような、「妬み」の心は、「道徳的によくない」道徳的に抑圧されたり、政治家に無視されたりする。しかし、実質はこのような本当の原因に目をつぶれば、対策は上っ面になるのではないかと思う。
 私の考えでは、少しづつでも、自力で成功する道を示し、支援することが、このような「妬み」を薄めていくのではないかと思う。

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