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2016年10月15日 (土)

「正義感」の弊害

 いわゆる「正義感」に駆られた行動の困ったことは、
  「正義のためだから何をしてもよい」
という考えに陥り、人を傷つける可能性があることである。
 例えば、死刑廃止論者の行動例では以下のようなものがある。

  1. 犯罪被害者の遺族に犯人死刑の責任を負わせ、「貴方も人殺しという」
  2. 裁判員に対して、死刑判決を出すなら、「人を殺す責任」と重荷を負わせる

有名な、H市事件では、家族を殺された被害者が、死刑判決の後に、犯人の分まで市というものに向き合わされた。このような負担を、ただでさえ傷ついている犯罪被害者匂わせてよいのだろうか?
 この他にも、死刑存続論者の政治家を
  「ばかもの」
と言ってもよいと、思いあがっている作家もいる。
 このように、「正義」のためなら、相手はどうなってもよいという思い込み。これは、ネット上の暴走でも同じである。知識人であっても、相手が人間であり、尊重しなければならないということを、理解できていないなら、「正義感」で暴走する、ネット右翼と変わりはない。

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