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2016年11月17日 (木)

単線型の価値観で縛られているのではないか

 今の社会を見ていて、どうも一つの価値観だけで話をしているように感ずることがある。学校教育においても、「論理的な読解」に重点を置くと言ったり、「人の感情に寄り添う」と言ったりして、どちらかに偏っているように思う。この図式は、上下関係による命令と、友人関係の思い遣りを、二者択一で考えているようなものである。
 しかし、本来は論理的な思考、そして命令大家などの組織的なモノと、相互の思い遣りというものは、並列して補い合いながら働くのではないかと思う。
 これが、少し論理という一本道に縛られているのは、いわゆる学校的社会が強くなりすぎたからではないかと思う。
 これを歴史的に見れば、デカルトの厳密な論理展開に対して、ヴィーコが、「百の三段論法で攻める」という風な、多様な論拠での議論を勧めていた。このような複線型の思考法で、幅のある考えが必要ではないかと思う。

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