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2016年11月19日 (土)

信仰とリーダー論の関係

 先日、リーダーに関して色々と書いた。そこで、リーダーに従う者たちが、リーダーの考えを強化する効果に関して、もう少し考えてみたい。
 私の経験でも、部下が支援してくれる施策は実行しやすい。これは確かである。特に、自分に少し迷いがあるとき、背中を押してくれるフォロワーの存在は力が付く。そして、複数選択肢があある時に、強い支持者がいると、それを進めやすくなる。
 これを信仰という面で考えてみた。私が時々お参りする神様は、お参りすることで力がついてくるように思う。信じる者がいないと、神様も力が出ないように思う。

 しかしながら、信仰の場において、自らの力で神様を、強化するということで、思いあがると大変なことになる。素直な信仰で、しっかりした教義を理解した上で、神様のあるべき求めるのは構わない。しかし、自分の思った姿が神様と思い込むと、とんでもないことが起こってしまう。
 このことは、天台の魔訶止観にも、

一箇の功徳の法門を識らずして、外に光明を見ること目に溢れるるは、これはこれ魔なり。

と書いている。
 恐れ多くも、今上陛下のご退位に関しても、一部の議論には、自分勝手の「現人神」の像を作って色人がいるように思う。これは魔境に入り込みそうな感じがする。

 リーダーを支えるフォロワーは、従うのが原則であり、黒幕や思い込みの「神様づくり」であってはならない。

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