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2016年11月 6日 (日)

自然科学的知識の有効性と弊害

 

昨日の、コンディヤックの「論理学」を読んでいて、一つ気が付いたことがある。
 この本の第2部第9章に、確かさの様々な段階に関する議論がある。その中で

ところで、もし私が三角形の本質についてと同様に金の本質について知ることができたと仮定するなら、私はその本質において金のすべての属性を見て取ることができたはずである。つまり、その重さや延性や展性などは一つの本質が変化したものであり、その本質が変化を通じて様々な現象を示すだけということになっただろう。p197(一部括弧説明略)

という一節がある。
 この本が書かれたときは、物理学や化学の未発達時期であることを、考慮しないといけない。
 つまり、金という金属の原子・分子の構造などが理解できていない時代である。もっと言えば、分子という概念すら怪しげだった時代である。
 そこで我々は、現在の物理や化学の知識から、このような金という金属の性質に関して、かなり説明できるようになっている。これは、一般的な知識を使って、個別の性質を説明できるということで、化学の力を示している。
 しかし、自然科学で得られる知識が、金に関する知識のすべてというわけではない。
 金に関しては、美術的な価値や経済的な価値などが色々と絡んでいる。これを原子や分子の構造で説明することは難しい。
 しかし、自然科学万能の世界では、このような文系的知識を無視して、「科学的態度」だけで押し通そうとする傾向が出てくる。この危険性を知らないといけない。一方、自然科学の有効性に関して目を背けて、美の世界や経済の世界だけに閉じこもる。このような姿勢も困ったことが起こる可能性がある。経済的な「金」でも、化学変化の可能性などきちんと知っておくほうが、財産を守るためには有効である。
 このように死産科学の有効性を知るとともに、限界も知りながら、現実に対応することが大切だと思う。

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