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2016年11月 7日 (月)

若い人たちが育ちにくくなる条件について

 

前に書いた、完成度の高い製品が多くなり、分解することができにくいなどの環境は、若い人が技術を習得するには難しい条件の一つである。

 しかし、若い人の技術習得を難しくしているのは、もう少し別の面もある。私たちが育った、1960年代ぐらいなら、アマチュア無線などの素人の楽しめる世界があった。そこでは、幼いアイデアを先輩たちが育てる環境ができていた。東の秋葉原、西の日本橋といったアマチュアの集う世界があり、店の人や客がアドヴァイスする。そのような育てる環境ができていた。そしてそのようなアマチュアは、勉強するための書店の専門書コーナーにも出入りするようになり、そこから先端技術に触れる機会もあった。
 さて現在の状況を見ると、このような「幼い発想」をじっくり育てる環境が乏しいように思う。もう一つの書店の問題でも、専門書のコーナーに素人の出入りがしにくい「空気」ができているように思う。確かに、まだ秋葉原には、育てるというか、多様なものを受け入れる文化が残っているように見えるが、日本という国全体は、完成度の高いものを見ている人が多く、その段階に達していないものを、厳しく評価して潰す傾向があるように見える。
 このような、完成度の高い技術に対して、しっかりしたメーカーでは、設計支援環境や開発環境を作り、先輩後輩の伝承にも力を入れているので、若い世代の育成もできている。しかしこれができていなくて、外部に丸投げばかり行っていると、何もできなくなると思う。

 ここで視点を変えてみよう。今まで技術系の話をしていた。しかし文系、つまり事務屋の世界を考えてみよう。色々な制度つくりや、提案業務においても、同じような完成度を求める傾向があるのではないか?その場合に、技術者のもの造りのように、開発環境などの支援ができているのだろうか?
 事務系の生産性向上に関しては、IT環境で編集加工のサポートは素晴らしいものがある。前例などの参考情報の検索もできる。しかし根本的な発想力の支援、総合的な検討の支援などには至っているのだろうか。私は、今の事務系の作業支援の段階は、1970年代から80年代のコンピュータソフトウエアの生産環境に似ているように思う。当時は、ソフトウエア開発で、流用や編集の合理化が進んでいた。しかし部分的なツールという段階で、総合的な支援環境までには到達していなかった。このような状況、個々人の頑張りで、ソフトウエア製品が生まれていたのである。
 事務系の過重労働に環境には、昔のソフトウエア開発の状況がなんとなく重なって見えてきた。早く改善への道を探ってほしいものである。

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