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2017年3月26日 (日)

創造する力について(悪魔の創造力)

 先日からの森友学園の問題について考えていたら、創造ということの一つの解釈ができた。森友学園の豊中の土地取得に関しては、借地権の利用、学校法人の認可、借地の払い下げ、しかも廃棄物の出現による値引きなど、複数の事項が絡まりあっている。これを上手く構想し、作戦を練った人間がどこかにいるのは間違いないだろう。少なくとも、籠池ファミリーを見ている限り、そのような知恵は探しても出てかないと思う。
 一方、権力者の介入などと言う図式を描く人間もいるが、そのような知恵のある権力者がそれほどいるとは思えない。また、権力者は危険なものに敏感である。例えば、鴻池議員は危険を察知し、きちんと籠池夫妻と喧嘩している。官僚の忖度での働きという可能性もあるが、全体を見る力が今の官僚にあるのかは少し疑問がある。今回の件でも、各部門が自分の範囲だけを熱心に対応した結果だと思う。
 例えば、国の財産を管理する立場として、払い下げた物件が、産業廃棄物などの危険物が埋まっている、事故物件ということになったとする。これが、近隣地に連鎖すると、路線価の低下まで及ぶかもしれない。そうならば、国の財産の大きな損失になるので、少しの金で済むなら黙らせるために使う。このような発想ではなかったかと思う。別に総理(夫人)など大仰なものを持ち出さずとも、単純な事なかれ主義でも説明がつく。そしてこのような厄介話の記録などはすぐに消えてしまう。
 そのように消去法で考えていくと、森友学園の後ろにいて指南したのは、高度の知能のある経済やくざの可能性がある。暴力団というから、暴力だけと思う人が多いが、とんでもない。今のやくざ屋さんは知的能力と経済的センスで戦っている。事故物件を入手し、その後言いがかりをつける。これは、まさしくやくざ屋さんの手法である。

 さて、ここまで考えると、この問題ではいろいろな教訓が出てきた。
 まず一つ目の教訓は、物事の創造というものは、入り組んだ制約条件が混在する中で、一つの可能な答えを見出すものである。制約条件の中で、安定した答えを見出すといってもよい。これには広範囲な視野で見ながら、個別の細部まで詰める能力、そして種々の条件を擦りあわせる力が必要である。
 さて、このように難しいものの答えを見出す力は何処にあるのだろう。
 西洋文明では、それを「神」の力と言っている。
 しかし、森友学園の問題を見れば、神というより「悪魔」の力という感じがする。悪魔にも、神と同じような創造力があるのだろうか?これはキリスト教などでは、大きな問題になっている。

 私は、森友学園の問題を見ていて、少しこの本質が見えてきたように思う。つまり、神の創造は、全体を見た上での創造である。一方、悪魔の創造は、自分の近所というか、利害関係だけで、他にどれほど被害を及ぼしても平気である。このような視野の違いがあるのではと思う。

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