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2017年4月21日 (金)

今なぜ「教育勅語」反対か

 先日から、朝日新聞などの一部メディアが「テロ等準備罪」に関する議論で、戦時中の「治安維持法」の運営経験などを取り上げている。
 このような戦前・戦中の話を聞くと、皮肉屋の私は戦後の話も思い出してしまう。戦時中の「治安維持法」などの各種法律の暴走には、国家権力の力もあったが、それを忖度した民衆の力も大きかった。また学校教師などの「愛国教育」の影響も大きかった。
 さて、敗戦後の彼らの動きはどのようなモノだったろう。
 あざやかな手のひら返しの
  「マッカーサー万歳」
である。
 しかし、戦中の行動をどこかで合理化しないといけない。そこで、悪者になったのが、「A級戦犯」であり「軍部の暴走」そして、「教育勅語」である。昭和の歴史をもう少しきちんと見れば、軍の独走を許した「統帥権問題」は、実は国会の政争の具として、野党が与党の足を引っ張るために担ぎ出した概念と判る。つまり、政治のお粗末さ、それを選んだ民衆のお粗末さに目をつぶり、軍部を悪者にしたのである。また学校教師たちは、自分たちに罪がなくて「教育勅語」が悪かったと言い逃れた。
 さて、今また「教育勅語」に関する批判も出ている。これは偶然だろうか?政治に関する議論のお粗末さ、戦前戦中の本質的な反省なしに、教育勅語を悪者にし、「共謀罪反対」とわめく、そのようなことでよいのだろうか?
 なお、私は個人的には、「教育勅語」の精神には反対である。一例を挙げよう。某県で、高校生の山岳部が、一部の自信過剰教師の指導による山岳活動で死亡事件を起こした。このような教師に対しても、「教育勅語の精神」では、「天皇陛下と同じく従え」となる。そして、間違いの追及もできないだろう。教育問題の悪さ改善を妨げる、「教育勅語的精神」は、今でもどこかで生き残っているように思う。

 しかし、「教育勅語」だけが悪者論には、賛成しかねるものがある。オウム真理教の一部の元信者には
  「麻原彰晃が悪い」
と全てを、麻原彰晃にかぶせている人間もいるように思う。このことを、戦後の色々な動きに重ね合わせてみると見えてくるものがあるのではないか?

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