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2017年4月 7日 (金)

我が国の軍事研究が進まない理由について(特に文系)

 

昨日書いた、大学の軍事研究に関して、もう少し議論してみたい。
 日本の大学が、特に文系分野での軍事研究に関するアレルギーを持っている。この理由を考えてみたい。
 まず、大きな理由として第2次大戦までの戦争協力の反動がある。第2次大戦中の日本の大学には、文系の学者でも戦意高揚などに協力した例は少なくない。マックスヴェーバーの研究者のO教授や、哲学で有名なN教授一門などもその一例である。彼らの戦後の行動は、パージを受けて大学を去った人たちと、手のひら返しで戦争批判で大学に残った人に分かれる。また、パージを受けて大学を去った人も、多くは時の流れに従って戻ってきている。
 このような人たちの多くは、戦時中の自分たちの行動には口を拭って、平和大切と説いている。彼らの発想は、戦争関連のことは思い出したくない、絶対に触れないというものである。

 さて、もう一つの理由として、井沢元彦流の「言霊」信仰がある。これは、「戦争」ということを言えば、戦争が起こる、という発想であり、逆に
   「戦争と言わなければ戦争にならない」
という信仰である。この信仰は、軍隊を「自衛隊」と言い換えるなどいろいろな形で出ている。この影響で、「軍事に関する研究は穢れ」であるから、大学などは触れてはいけない、このような差別も発生している。

 これに加えて、もう一つの日本的な議論として、完全なものを求めるという発想がある。平和を求めるためにも、防衛するために、テロリストなどの攻撃方法を研究する。これは大事な研究だと思うのだが、今の段階では基礎的・部分的な成果を積み重ねる必要がある。しかし、日本の世論や政治家は、平和のための研究なら、完全な平和を求めてくる。途中でテロの手法を研究していると、「人殺しの研究」と罵倒する。その成果を踏まえて、防護を作るための基礎と言っても、なかなか認めてくれない。しかもその防護は完全でないといけない。

 このような現実離れが、日本の軍事に関する地道な研究を妨げていると思う。

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