ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 思考力を増すラベルの活用 | トップページ | 北朝鮮の状況から見た予言 »

2017年4月15日 (土)

教育勅語に関して色々思うこと

 近頃のニュースで、政府が、「教育勅語」と「銃剣道」を否定しなかったことで、色々と物議を醸し出していることを知った。
 まず事実関係を言うと、閣議決定のレベルでは、教育勅語を積極的に推奨するというものではない。教育勅語を使うことに否定はしないという姿勢である。また、銃剣道については、中学の体育の選択肢の一つにしたというだけで、推奨のレベルではない。
 私は、個人的には、銃剣道に関しては、大分違和感がある。銃剣道を入れるなら、日本古来の伝統のある槍術(やり)や、杖術(つえ)を入れる方がよっぽどよいと思う。

 しかし、この両者の拒否論者に関しては、第2次大戦直後の世界を少しは知っている人間として、色々言いたいことがある。
 まず教育勅語と銃剣道に関して、戦争中に最も熱心に推奨していた人種に、多くの学校教師と婦人会等があることを、抑えておかないといけない。地域の竹やり訓練(これは銃剣道の動きと同じである)に参加することを強制する、そして参加しなければ「非国民」との罵声を浴びせる。このような事を行ったのが、学校教師や地域の指導者たちである。その基本委教育勅語の精神があった。
 そして、敗戦の後は、自分たちの今までしてきたことは忘れて、
   「マッカーサー万歳」
の手のひら返しが始まる。(一部「マルクス万歳」もいる)

 さて、ここで彼等が、今までしてきたことの反省をせずに、原因を押し付けたのが「教育勅語」と「東条英機」である。確かに、教育勅語の内容を見ると、一部の道徳面に良いものもあるが、困ったものもある。その内容をきちんと理解して、批判するならよいのだが、「教育勅語」というだけで否定している面があるのは、いかがなものかと思う。
 さらに、「教育勅語」の精神で、私が最も嫌うものがある。それは、
   「教師に対する服従の命令」
である。つまり、学校教師の言葉は、天皇陛下の代理で発しているものである、という発想である。この精神が、戦後も換骨堕胎して、
   「教師への絶対服従」
を要求する発想がまだ残っている。
 このことを反省せずに、「教育勅語」という言葉だけで葬り去ろうとする発想に、私は危険なものを感じる。

« 思考力を増すラベルの活用 | トップページ | 北朝鮮の状況から見た予言 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 教育勅語に関して色々思うこと:

« 思考力を増すラベルの活用 | トップページ | 北朝鮮の状況から見た予言 »