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2017年5月23日 (火)

自らの危険性に目をつぶる

 昨日書いた、オウム真理教事件に関連して、もう少し考えて見た。

 あの当時の報道で、よく覚えているのは、教団の広報(?)をしていた、上祐なんちゃらが、口達者に皆を言い負かしている場面である。
 それに対して、仏教界の方からは、瀬戸内寂聴あたりが、何か偉そうに言っているが、どう見ても言い負かされている。

 これに加えて、オウム信者の高学歴状況が報道される。
 この時、私は個人的に、
    「現在の学問知識の危険性」
を漠然と感じていた。
 現在なら、学問的な議論なら科学哲学、宗教的なら天台の魔訶止観などの対処法はあるが、当時の私には、今まで学んだ学問が、変な向きに走る危険性を感じていた。

 当時の社会にもこのような「学問知識だけの暴走」に関する、潜在的な危険性に、意識しないが、漠然と感じていた人が多いように思う。もっと言えば、自分もその危険性があることに目を向けまいとしていた人が多い。
 もう一つ言えば、自分たちの主張の『論理性は正しい』が『前提を疑われると怪しい』人たちがいた。(例として「朝鮮民主主義人民共和国は理想の国だから拉致などはしない」という人たち)

 このような人が、潜在的恐怖を押し殺すために、オウム排斥をあおった。この可能性も検証する価値があるだろう。

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