ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« お上を信じる我々の行動 | トップページ | よい「批判」と、悪い「批判」 »

2017年6月24日 (土)

今の見方で歴史を見る危険性

 ここ数日、承久の乱~貞永式目の歴史について、山本七平の視点を参考に振り返って見たが、その当時の状況をきちんと想像することの大切さがよくわかった。

 まず一つ目は、承久の乱までの、武士の立場の不安定さである。言い換えると、天皇の権力が、いかに大きいものであったかを、我々は知らない。特に、天皇または上皇が、
 「自ら兵を率いてきた」
場合には、武士は降伏するしかない。このような精神状況を、理解できていなかった。これは、教科書知識で
 「鎌倉幕府ができて源頼朝が将軍になり権力を握った。」
という一言で、徳川将軍のようにしっかりした権力ができたと、誤解していたからである。しかし、実情は律令制度の官位は、まだ存在し、これは天皇側に与える力があった。そして幕府の地頭などよりも、権威があった。これだけでも、鎌倉幕府の不安定さはよくわかる。
 このような、状況で、いかに人徳のない行動をとったにせよ、また天皇になった経緯で、一抹の不安定性があったにせよ、天皇と上皇を島流しにする、これを行った北条氏の行いは、まさに革命である。

 もう一つは、武士と農民の関係である。これは荘園とも絡むが、鎌倉時代までくると、既に公地を耕す農民などほとんどなく、自力で切り拓く、または荘園で働く、農民が大部分である。そのように自力で切り拓いた土地は、自力で守る。または、荘園を守るために、武力の保有を行う。これが武士の発祥である。このように考えると、武士というものは、武装農民が発祥である。
 豊臣秀吉から始まる、兵農分離が行き届くと、農民というものは平和主義という誤解を持つが、戦国時代までは、自力で切り拓き、自力で守る文化が、農民にあったのである。
 これを考えると、日本の文化が、本質的に実力主義の軍事文化的な要素があることも、納得できる。

 歴史の勉強も、教科書的知識で上滑りしてはいけないということがよくわかる。

« お上を信じる我々の行動 | トップページ | よい「批判」と、悪い「批判」 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 今の見方で歴史を見る危険性:

« お上を信じる我々の行動 | トップページ | よい「批判」と、悪い「批判」 »