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2017年6月27日 (火)

「自然的秩序」への信頼が日本的コミュニケーション

 先日から読んでいる、山本七平の「日本的革命の哲学」は、色々な気づきを与えてくれる。今回は、
 「自然的秩序」への絶対的信頼
について、少し議論してみたい。山本七平の指摘は、北条泰時が、当時の法的権威である、律令制度に逆らい、独自の固有法である「御成敗式目」を制定する時、その精神的支柱が、明恵上人の教えによる
 「あるべきようは」
だということである。ここで、一つ指摘しておくが、革命的な行動をして、今までの権威に逆らうときには、通常の人間には大きな精神的負担があるということである。そのために、それを支えるものが必要になる。これは、自力で新しいものを切り拓いた人間だから、理解できる重圧である。他人の受け売りで、権威を振りかざす人間はこの重荷は理解できないだろう。

 さて、この「あるべきようは」を山本七平は、

「汎神論的思想に基づく自然的予定調和説」とでも名づくるべきだろう。
~中略~
ハーバード大学のアブラハム・ザレツニック教授に説明したとき、「一種の自然法的思想」だと言ったところ、同教授は「法ではあるまい、秩序だろう」と言われたが、確かに「自然的秩序」への絶対的信頼が基本となる思想と言わなければならない。

と書いている。
 私は、この思想の裏に天台の魔訶止観の一念三千が、あるように思う。一念三千の教えには、自分の心の中に、衆生の世間(他人の見る世界)、国土世間が、全て観えると教えている。
 つまり他人の考え、自分の考えが両方とも自分の中にある。判るという信念である。色々な、要求があるだろう。しかしそれが両方とも自分の心の中にあれば、調和し秩序を見出すことができるだろう。
 このような信仰の力で、自分が秩序を見出せる。それは皆に納得して貰うことができる。これを信じたことが、北条泰時の行動力を導いたと思う。
 なお、明恵上人が島に手紙を書いた、逸話があるが、これも国土世間を観じる身なら、それぐらいはすると思う。

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