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2017年6月14日 (水)

「ポピュリズム」と切り捨てることの危険性

 今の国会を見ていると、本当に実のない野党の動きが気になる。確かに与党も今一な面もあるが、民進党のひどさがそれを上回る。
 さて、ここで一つ気になることは、国会とその外側の関係である。つまり、国会議員たちは、自分の意見だけを言っているのではない。その支持者の意見を反映する。さらにその外にある多くの大衆の心をくみ取って、行動してほしいものである。
 しかし、今の国会議員の多くは、せいぜい直接声の届く支持者の話しか聞いていないように思う。それがネット社会で、多くの意見が公開される状況に、正しく対応しているか、よく考えて欲しいものである。

 ネット社会の前なら、意見を公開できる層は、マスメディアなどの限られた世界であった。その世界の中の論理に従って、お互い暗黙のルール通りに対応する。このような閉じた世界であった。
 しかし現在は、これがネットで公開されるようになっている。このような状況で、大衆参加が実現した現状を、もう少し考えるべきではないかと思う。たんに「ポピュリズム」と切ることができるだろうか?

 実はこの話、私がある人と議論していた時、私が裁判の弁護について、やりすぎと言ったのに対し

ただ一つ気になったのは、裁判の場では、弁護人、検察はできうる限りの手段を講じるというルールがあると思います。

という意見をもらった。確かに、裁判において、法律家同士の戦いは、相互の暗黙のルールで行われる。
 しかし、これも大衆が絡むとそこまで単純に割り切れなくなる。昔、橋下弁護士があるテレビ番組で、弁護士懲戒請求に触れて、騒動になった。あの番組は、私も観ていたが、この文脈で考えると、橋下弁護士の立場もよくわかる。彼の気持ちを代弁すると以下のようになるだろう。

「弁護士の立場として、色々な手段で法廷日程を引き延ばすなどもあるということはわかる。しかし、大衆意見として、被害者家族を無駄足させて、平気という感覚に怒るのもわかる。そのような一般市民の声を、弁護士に伝えるなら、弁護士会に、一般市民からの懲戒請求する窓口は存在する。これが自分が言えるぎりぎりのところだ。」

このような、専門社会の論理と、一般人の感覚がぶつかり合う。これが現在の特徴ではないかと思う。単にポプリズムと見過ごしてはいけないと思う。

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