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2017年6月15日 (木)

学校教育における「コピペ」の議論ができているか

 このブログで昔書いた、コピペに関する議論をもう少し深めてみたい。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8faf.html
 前の議論では、コピペ禁止の理由は以下の3点であった。

  1. 著作権法の問題 遵奉精神
  2. オリジナリティ指示違反
  3. 学生が本当に鍛えないといけない能力の訓練が出来なくなる

しかし、ここしばらく書いている、明治以降の日本の教育の問題を考えると、上記3の議論に何処まで答えることができるのか、疑問になってきた。

 つまり、
   「どこかにある正解を書く」
という作業だけしか教えていないなら、効率という面で、コピペを否定できるのかという話である。もう少し言えば、「検索ソフト」が探してくれることを、高い授業料を払って、聞かないといけないのかという議論である。

 このためには、教える方も

    「自分で考える方法、考える力」

をきちんと与えているか、そして

   「色々な情報を正しく評価する力、それを自分で展開する力」

を育てているのかという議論になる。
 これを本当に育てるのが、哲学などの世界だろう。このような教養をきちんと育てる大学を、少しでも多く残してほしいものである。
 サンデルの議論を見ていて、

   「どれが正解だ?」

などと言うのではなく、その糧をきっちり見て自らの力を育ててほしいものである。

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