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2017年6月 8日 (木)

「共謀罪」に関して学問界から根本的な動きはないのか?

 今回の「共謀罪」騒動を見ていて、少し気になることがある。このような時に、学問の世界から、もう少し議論の仕方などについて、皆に啓蒙するような動きがあってもよいのでは、という疑問である。
 何か憲法学者などの意見というのは、まるで「神託」のように、
   「我に従え」
と結論だけが天下ってくる。確かに
   「どのような理由で、これは悪いと考える。」
   「このような観点でこの法律は問題がある。」
というレベルの学者の意見は時々見る。しかし、法学の基礎的な考え方から、しっかりした議論が見えていない。
 この問題について、少し考えて見た。

 まず一つは、明治維新時からの「継受法」の体質である。つまり、先進国である欧米の制度だから受け入れた。これだけの理由なので、何故そうかという議論を展開できる人がいない。国民に知らせると突っ込まれる。しかし、ここで「教育勅語」という絶対的な武器がある。大先生の言葉は、天皇陛下の御心に沿うものだから、疑ってはいけない。
 そこで語学を勉強した大先生は、欧米の制度を翻訳して、皆に天下せる。このような仕組みなら、説明などできるわけがない。

 もう一つ言えば、「法学」の独占という発想である。確かに東大法学部の教育はしっかりしていて、法体系を作り上げるための、強力な基礎を教え込んでいる。そこで鍛えられた人間が、この知識を独占して、下々に教えない。このような官僚支配の発想もどこかにあるように思う。

 最後の可能性は、第2次大戦後の学者の逃避行である。多くの学者が、戦争協力の論陣を張っていた。それが戦後は口を拭っている。この影響で、学者は象牙の塔にこもっている。世俗と関係ない、ということで、戦時中の話も逃げていた。このような影響もあると思う。

 しかし現在は、もう少し情報公開して、きちんとした議論ができるような風土を作るべきだと思う。

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