「日本手話」を母語とする子の教育について
昨日書いた、聴覚障がい者の教育について、前に書いた記事も読み返してみた。
2016/12/23 聴覚を抜きにしたコミュニケーションについて
http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-1594.html
2017/5/4 手話と教科書の議論
http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-5528.html
昨日2017/7/20 手話を言語として認めるために
http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-c8b4.html
前に書いた時には、不勉強で申し訳ないが、手話の文法の意味がきちんと理解できていなかった。
しかし、知識付与的な教育には、「日本語教科書」の理解が必要である、感情的な面も含めてのコミュニケーションには「日本手話」による会話も重要である。したがって、バイリンガルの教育が必要になるという発想は、まだ生きていると思う。
さて、今日はもう一つ提案しておこう。
聴覚障がい者およびその父兄には、説明などの充実した教科書が必要である。
教師の話すことなども活字化した教科書が必要である。
そしてこのような本は、現に存在する。教師の指導用の本である。教科書出版社は、教科書採択のため、教師の便宜を図るため充実した指導書を作っている。この中には、授業中にしゃべる言葉も載っている。この部分を読ませることで、聴覚に障害のある生徒にも、理解が容易になるのではないかと思う。
聴覚に障害のある子、またその父兄などが、教師用指導書を、入手できるようにする仕組みなど、政治的にも考えてほしいものである。
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