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2017年7月 9日 (日)

無視してよいものいけないもの

 昨日書いた、「無視する」ことに関する議論で、少し言い忘れたことがあったので補足しておく。
 私が言いたいことは、自分の枠外のものは無視するという立場は、交流分析でいう、
   「子供の立場」
なら許されるが、責任ある「親の立場」なら許されないという議論である。
 少し極端な事例だが、1997/2/3の衆議院予算委員会での西村慎吾議員が、「北朝鮮による拉致問題」を取り上げた時の、いろいろな議員たちの行動を見てみたい。
 ここで批判的な行動をとっているのは、社会党(社民党)の一部議員たちである。この人たちは

朝鮮民主主義人民共和国は理想の国、拉致などはアメリカ帝国主義と韓国軍事政権のでっち上げ

と信じて、党のホームページに掲示していたのだから、確信犯としての行動である。これは、選挙での選択を受けることになる。
 一方、一部の自民党の議員には、明らかに逃げ腰の人がいる。
 この人たちは、政治を担うという責任があるのに、この問題からは逃げている。
 このような、責任ある立場を自分で選んだ人は、逃げることは許されないと思う。

 北朝鮮の脅威は、今も迫っている。ミサイルや核の問題ばかり騒いでいるが、毒ガステロの可能性も十分ある。政府には、この問題に正面から向きあい、責任ある対応をとってほしい。
 オウム真理教の地下鉄サリン事件に関しても、いまだに教訓をくみ出せていない。あの時のサリンは、毒性の弱いものと聞く、それなら北朝鮮が本気で作るとどうなるのか、しっかり検証すべきである。
 また地下鉄サリン事件の時の、防護服不足などで、警察関係者などに危険な目に合わせて。このような組織としての反省も必要だろう。(命令して、部下に死地に赴かせるときに、防護装置の不備でも命じる、感性なしの上司~政治家がいたことを、しっかり反省すべきである。)

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