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2017年7月11日 (火)

「見たくないものを無視」の一つの原点

 ここしばらく書いている「見たくないものを無視」する、この国の傾向について、私の考えでは

                 1945年8月15日

に立ち返って、考えるべきものがあると思う。この件に関しては既に、山本七平の著作がいろいろと出ているし、私もいろいろと影響を受けていることを、あらかじめお断りしておく。

 まず押さえるべきことは、大東亜戦争の戦争犯罪に関しての、日本国(民)の対応である。これに関しては、ドイツと比較されることが多いが、戦争犯罪者を自力で裁いていない。これが特徴である。この本質は、マッカーサーが見事に指摘している。

  「ドイツは大人だから自分で責任を取る。
  日本は子供だから、自分で責任を取らせるわけにはいかない。」

そこで、占領軍の手による「東京裁判」が行われた。これは、戦争犯罪人の範囲を、GHQ司令部に決めてくれと、(暗黙裡かもしれないが)我が国の意向があったからである。

 この理由は、とくにアメリカとの戦いにおいては、緒戦の勝利の影響で日本国民の「空気」が支配したことが大きい。戦意高揚に関しては、マスコミ・学問界を含めて、国民的な支持があった。それを受け、学校教師や地域団体も活動している。これを考えると、どこまで戦争協力者か、という話で歯止めが利かなくなる。もう一つ言えば、東条英機もそれほどのカリスマではない。ヒットラーのように、「国を先導した」というべき「罪人」が絞り込めない。東条英機の遺族は、東条英機が戦時中に「弱腰である」と抗議の手紙を多数受けたという証拠を持っている。

 このような状況で、どこまで罪人という線引きを、外部に託したのが「東京裁判」などのGHQによる追求である。言い換えると
 「GHQ様が無罪と言ってくださった」
と言うお墨付きを多くの人(マスコミ各社)が得たのである。

 このような状況で、本当の戦争犯罪はどこまでなどという、

  「不都合な真実には目をつぶる」

という国民的共感ができた。

 一方、このような共感は、理性的な動きを封じる面もある。この結果、犯罪被害者及びその家族への心のケアなどという議論も、抑え込まれている。戦後を考えれば、
  「皆が被害者という」
言い方で、抑え込まれた面もある。

 さらに、加害者の家族への攻撃という、理性的に考えれば、ありえないことも行われている。東条英機の孫というだけで、小学校で糾弾される。このようなことが行われた。

 最も今でも、安倍首相について、
  「A級戦犯の祖父を持つ」
などとわざわざ書く、大新聞社もある。

 戦後の一時期あったことをもう一度見直すべきだろう。

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