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2017年7月 8日 (土)

なぜ「無視する」のか? 個人的仮設

 昨日書いた、「見たくないものを無視する」
  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-e73d.html
について、もう少し掘り下げてみた。
 まず、このような「綺麗ごとの世界」で済ませる発想は、どかから来たのかを考えてみた。
 これの一つは、学校の世界である。学校というものは、ある意味決まりごとの上で作られた、「理想的」な世界である。結局先生の言うことを、そのまま受け入れる子を作る世界でもある。確かに、画一化教育を行うときに、個々人の状況まで見ることは難しい。こうして、
 「理想から外れたものは見ない」
という形で、進んでいく。

 もう一つ別の話では、メンタルヘルスの治療の話がある。私の知り合いのカウンセラーが、よく学会などで指摘さることに
 「患者の心の中の悪いものを引き出すだけではいけない。」
がある。これはその通りだが、
 「治せないなら、寝ている子は起こすな。」
となって
 「目をつぶっておけ」
となってしまう。
 確かに、一部の災害時には、カウンセラーが下手にかかわって、フラッシュバックを引き起こし、かえって症状が悪くなった事例もある。こうなると、
 「目をつぶって」
という指示も、少しは納得するが、本当にそれでよいのだろうか?

 私が考えるに、このような理想形しか見ない姿勢は、交流分析でいう「子供」の態度である。自分で責任を持つ「成人」や「親」の立場では、
 「悪いものにも直面する責任」
がある。少なくとも、政治家や行政にかかわる人たちは、いろいろな面に気を配ってほしいものである。ただし、いわゆる「代表を送る民主主義」という発想なら、個別の団体などの「代表」なので、
 「自分たちに関係ない」
と言い張るかもしれない。例えば、獣医師学会は、
 「獣医師の既得権だけを考えて、大学新設に反対する。」
外来生物の影響や、口蹄疫など、獣医師が必要な状況を憂いて、
 「獣医師を増やせ」
という声は無視する。このような、自分たちの代表だけの政治、という状況も起こりかねない。
 このような状況は、ネット社会では少しは「多様な意見の公開」ということで改善されていると思う。

 さて、カウンセリングの話では、もう一つ大切な話がある。先ほど言ったように、悪いものを引き出さない、という解決ではなく、敢然と患者の心に立ち向かった人がいる。
 日本の内観療法の創始者、吉本伊信がその人である。浄土真宗の僧侶でもある吉本師は、親鸞の教えそのままに
 「悪人と自分で認めたものこそ救われる」
と、自分の心の中を探らせている。
 このような救いの確信の上で、自らの心の闇に踏み込む。これは一つの手法ではないかと思う。

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