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2017年7月10日 (月)

「見たくないものを無視」についてもう少し

 先日から書いている、「見たくないものを無視」する傾向について、また思いついたことがある。井沢元彦の「逆説の日本史4中世鳴動編」には、日本の平和思想で、穢れを嫌って、武士階級を差別した話がきちんと書かれている。その中でも、保元の乱の後始末で、後白河天皇は。源為義の処刑を息子の義朝に命じたという話がある。このような行動を、後白河天皇がとった理由として、井沢元彦氏は

それはわれわれの心の中に「軍隊(軍人)に対する一種の差別感情があるからだ。差別という非合理なものがる根底にあるからこそ、こんな非道なことをしても後白河は平気なのである。 小学館文庫p299

と指摘している。
 私は、この指摘にも一理あると思うが、もう少し言えば

死刑というものを見たくない。そこで、武士たちに押し付けた。その結果、同族の中での処罰という話にした。
公家・および後白河天皇は、この処刑について「見なかった」、つまり関係ないものとした。

という解釈もあると思う。
 これは現在でも、死地に赴く自衛隊員の状況を「見なかった」ことで、解決する政治家もいる。例えば、北朝鮮の工作船を追跡した、妙高の乗組員は停船させた後、相手船に乗り組むときに、防弾服が支給されていなかった。(これで少年週刊誌を巻き付けて、少しでも身を守ろうとした話は、文春新書「国のために死ねるか」を見てほしい。)
 このような、装備の不備は、テロリストならすぐに見抜き、臨検に向かった自衛隊員は、射殺されただろう。このような、状況に対して「見ないふりをする」そして、他の人間にも見させない。
 このような、悪い「見ないふり」を許してはいけない。

 

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