ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 疑似哲学の弊害 | トップページ | 老朽家屋問題に関して »

2017年8月18日 (金)

原理主義者の妥協なしの攻撃のもたらすもの

 今朝の朝日新聞の「(戦争を語る:3)韓国人元戦犯の闘い 韓国人元BC級戦犯・李鶴来さん」の中に少し気になる部分があった。
  http://www.asahi.com/articles/DA3S13091582.html

 「ただ、当初は政府も高圧的ではなかった。首相官邸前に座り込んでも排除しませんでした。さすがに『ひどい目に遭わせた』という負い目があったのか。鳩山一郎首相は直接、話を聞いてくれ、政府の窓口も決め、『善処する』と約束しました。生活支援の財団が作られ、旧朝鮮総督府の元幹部が会長になりました。保守系を含め理解者がいました」

このように、保守系(自民党等)の中にも、いろいろな立場の人を受け入れようとする動きがあった。
 しかし、今はこのような動きは少なくなっているように思う。
 その理由を、保守側だけで考えるのでは、本質が見えてこないのではないかと思う。
 つまり、このような苦労をされた方々を、支援する人たちの変化である。当時の支援者には、現実の状況を理解した上での、支援者が少なくなかった。そこでは、政府への口頭攻撃などを行っても、どこかに解決の糸口を探る攻撃であった。そこでは、攻撃を受ける側も、できる限り受け入れるべきことは受け入れるという立場であった。
 しかし、どこかでこの攻撃側が「原理主義」的な、妥協のないものに変わっていく。現在の、朝日新聞などの立場を見ても、
  「安倍首相は許せない」
という一貫した立場で、何とか首を取ろうとする姿勢が見えている。このような、首取り攻撃に対しては、完全に防御せざるを得なくなる。
 こうした原理主義の動きが出てきたのはいつ頃だろう。
 私が思うのは、1960年代ぐらいではないかと思う。そのころアメリカでは、ラルフネーダーの「消費者十字軍」という運動があった。このような、インテリが知識を振り回し、原理主義的な攻撃を行う。この流れが、次第に日本にも入ってきたように思う。
 しかし今の時代なら「十字軍」という言葉自体で、イスラム文明に対する侵略の歴史が出て、反発を引き出すだろう。このような、多面的な見方を受け入れず、自分たちの「正義」を押し付ける。原理主義にはこのような怖さがある。

« 疑似哲学の弊害 | トップページ | 老朽家屋問題に関して »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 原理主義者の妥協なしの攻撃のもたらすもの:

« 疑似哲学の弊害 | トップページ | 老朽家屋問題に関して »