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2017年8月21日 (月)

仏教の状況変化に関してもう少し

 昔の仏教について、空海と最澄という二人でもう少し考えてみた。二人は同時期に、当時の先端文化の国である唐にわたり、仏教を日本に導入するために尽力した、しかし二人が得たものは、大きく違っていた。
 最澄は、天台の教えを中心に多くの経文を持ち帰った。その中には、摩訶止観もあり、彼の主たる修業は、止観行だったと思う。つまり、経文の世界を自力で瞑想して深めていく。そして得たものを多くの人に及ぼす。このような発想だろう。
 しかし空海は違った。かれは、水銀などの力で、多くの金を持っており、その財力を使って、多くの絵や法具を複製模写した。こうして、密教世界を日本に持ち帰ることに成功した。
 現在の言葉でいえば、文字によるテキスト情報主体の最澄に対し、画像情報を駆使して布教する空海の力である。
 われわれの目で見れば、印刷本は当たり前、その中の画像も珍しくない。しかし当時は木版印刷で、絵を入れるなどは難しかった。そのような状況で大量の画像による布教を行った空海は、やはり天才だったと思う。
 この後、地獄極楽に関しても、我が国では絵による布教が行われるようになっていく。
 その一方で、簡易化した行として、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけの念仏や「南無妙法蓮華経」と唱える題目が力を持っていく。
 摩訶止観の念仏は、自力で仏の姿を瞑想の中で見出すものであった、ことを考えると、豊年などの念仏がいかに容易な修行かわかるだろう。
 一方、この反動で、真言宗などの密教や、禅に関しては、神秘体験探しに走った傾向もある。このことに関してはもう少し考えてみたい。

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