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2017年8月26日 (土)

日本人の「凶暴性」に関して

 昨日のNHKの歴史秘話ヒストリアは、徳川綱吉の話をしていた。確かに「生類憐みの令」は悪法と言えるのか、時代の流れとして、戦国時代からの命の軽さを、修正するための手段として必要なものか、議論する価値はあると思う。
 大きく歴史を見ると、我が国の「平和に関する考え」は、極端に動くように思う。平安時代は、貴族たちは「平和」と唱えることで、現実の武力的な必要する無視していく。その結果武士の世の中になる。この武家政権も、色々と変遷し、戦国時代という実力主義の極端になる。この時代では、宗教戦争も行われたことは、天安法華の乱や、法華宗による本願寺焼き討ちなどが示している。
 これを完全に抑え込むのが、徳川の平和である。この文脈で、綱吉の政策を見ると、納得することもある。平和のためには、殺生を嫌わせる道徳にしていく。しかし、一部徳川家を守る部分は、殺生を許す文化も残した。具体的には水戸と井伊家である。
 ここで、幕末の騒乱の幕開きである、桜田門外の変は、水戸と井伊の争いで会ったことに注意してほしい。もっとも、井伊家の対応は、武力の一門としてはお粗末である。これを見ると、かなり平和に慣れていたように思う。
 しかしその後の幕末からは、武家社会は人殺しが当たり前の文化になってしまう。
 そして明治の流れで、軍人はそのような精神性を植え付けることに成功した。これには国家神道などいろいろなものが絡んでいる。
 その効果は、太平洋戦争の初期まで持続した。
 しかし、敗戦により、また極端な平和主義に戻ってしまう。
 我が国の、「人を殺してよいのか」という議論は、このような両極端を振れているように思う。
 もう少し現実を見ながら、なぜ善いのか悪いのか、きちんと議論していくべきだと思う。

 

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